筆:小田 実宇
田ぼ中 「1」を読んでからお読み頂ければ幸いです。
彼の名前は、びっこちゃん。
通常、合鴨に名前はつけないのですが(何十羽といますから)彼は足が悪くいつもひきずっており、非常に目につく存在でした。どういった経緯でそうなったのかは知りません。ある日、片足が途中からプラン、と離れそうになっていて、気付いた母が慌ててギブスを作って治療したところ、なんとか繋がったそうです。
彼はとても貧弱で、なかなか群れにも馴染みませんでした。
人一倍、鴨一倍、田んぼデビューが遅かった。
リハビリセンター(調子の悪い合鴨たちが一時的に群れを離れ静養する小屋)から卒業できない状態が長く続きました。
びっこちゃん以外にも未熟な子たちはおりまして、彼らはリハビリセンターと田んぼを頻繁に往復していました。
仮にその子達を「遅れがち組」としましょう。彼ら「遅れがち組」は、デビュー以来一度として入院したことのない「優等生組」に比べれば、劣っていたのは言うまでもありませんが、ほとんどの生活をリハビリセンターで過ごす最高劣等生びっこちゃんよりは、曲がりなりにも田んぼで頑張ろうとする分、出来がいいとも言えます。
そこで不思議な現象がおきました。
遅れがち組よりも、出来損ないのびっこちゃんの方が、身体が大きくなったのです。
しかし、遅れ組の方には、「大人の羽」が生え始めていた。
びっこちゃんは、巨大な身体なのに、ふわふわの雛鳥のまま。
(優等生組の子たちは身体も大きく羽も立派になっています)
ようするに、ニワトリで言うなら
びっこちゃんは「図体のでかいひよこ」で、遅れがち組は「とさかの生えた小柄な若鳥」
というような状態です。
これは、もともと小さな体つきの「遅れがち組」が、自然界に出て栄養も十分にとれず悪戦苦闘の日々を送るうち、肉体的にはやはり貧弱ではあるが、その環境下で確かに鳥としての進化を遂げていたということです。
さて身体の大きさだけが成長をとげ、肝心な生物的進展の見られない赤ん坊びっこちゃんは、数日前から、やっと田んぼに出れるようになりました。
次々と周囲が田んぼデビューを果たし、外界で活躍している中、一人、リハビリセンターという温室で過ごして来た彼です。
体力面だけでなく、集団生活そのものに対して慣れが足りません。
それでも必死になって仲間についていこうとする姿は、とてもけなげなものでした。
遅れ気味になってしまうカモは他にもいますが、彼の場合は極端に離れていて、気持ちは同行していても、傍から見ている分にはほとんど別行動でした。
合鴨は田んぼにいる生物だけを食して生きているのではなく、人間が餌を与えます。一日に二度程の、食事。
量が多過ぎては本来の仕事に差し障りますが、人に慣らしておくことや、最低限の栄養補給が要るのです。
人の気配を察して、「ああ、ご飯ば運んできとらす!急がんば」と、合鴨は大きな声をあげ近寄ってきます。
びっこちゃんは、それがわかっているのかどうか微妙なところです。
ただ、仲間が動いているから、動こう。
ひたすら、ついていくのに精一杯で、どこに行って何があるのかなんてところまで、考えていないようです。
それでも、その頼りない姿を群れの中から見つければ、私たちは
「今日も生きてた」
と、ほっとするものでした。
昨日のこと。
母上が田んぼに様子を見に行ったところ、びっこちゃんの姿が見えない。
おかしいな、と思って探しても、姿が見えるのは「優等生」と「遅れがち組」のメンバーばかり。
いずれにしろ、立派な羽の生えたカモたちです。
あのたぐい稀に見ない妙な体格バランスのびっこちゃんは、一体どこへ行ったのでしょう。
彼は、無惨な姿で草むらに埋まり、動かなくなっていました。
田んぼに出る様になって本当に間もなく、とうとう、やられてしまいました。
「彼は障害を持ちながらも、懸命にやってたじゃないですか」
なんて、カラスにとっちゃ知ったこっちゃないでしょう。むしろ好都合。
どの子にしようか迷う事なく、狙いを定めることができたはずです。
「カラスだって生きているんだ、生き物みな平等に愛せよ!」と言う方も、
「カラスみたいな残虐非道な生き物は許せない!可愛そう!」と言う方も、
どちらの意見にも賛同する気はありません。
合鴨栽培は私達にとって生活の糧でして、その中でカラスは天敵で、非常に疎ましい存在です。
中でもびっこちゃんは、立派な合鴨を目指し手塩にかけて育てた可愛い劣等生、それを奪ったカラスは憎くてたまりません。カラスの暮らしを考えて、いちいち愛の情など持っていたら、やっていけない。
ただ、カラスの生態及び行動そのものを残虐というなら、うちは残虐一家になってしまう。誰もが生き物の犠牲の上に生きていることは忘れて欲しくはありません。
直接手をくだしたか、くだしてないかの違い。びっこちゃんの肉も、母カラスじゃなくて小ガラスが食べたのかもしれない。でも、どっちだって同じことです。
そんなわけで、合鴨栽培は涙あり感動あり怒りありで、落ち着く暇もありません。振り出しに戻れば、言うまでもなく、ラクなわけがない。でも、ラクよりも大きな収穫があるから、こうやって毎年、様々な苦労を重ねて、続けているのです。
合鴨たちが群れをなし、青い稲の間と間を鮮やかに抜けていく光景は、とても美しい。
そのはるか後方に、進化に外れた珍妙な姿の落ちこぼれが一羽、
片足をひきずりながら、置いてかれまいと群れを追う姿が見える気がして、
ふと、目をやってしまう。
最近のコメント