いきなりですがBGMとは!
私が東京で運動に関するインストラクターを行っているときにトレーニングルームを利用するお客様に提供する一つは「快適な場」であった。そうなのだ運動メニューを作成するとかトレーニングマシンの使い方を理解してもらう、運動の方法を紹介するインストラクションと同等に必要な気遣いは、快適な「場」を提供することであった。室内の温度管理、湿度管理はもちろんだが、BGMには気を使うように先輩からは指導されたし、後輩にも指導をしていった。
そこで流す音楽を選択するのは実に難しく、トレーナーは比較的若いために自分たちが好きなハイテンポなものが流される傾向にあった。だから、「この音楽がどうしてもいやだ」という場合は、お客様に合わせる。これが基本である。理由は、音というものは相当に暴力的なもので聞きたくないならば耳を塞ぐしかないからであり、耳を塞ぎながら何かをするというのはまあ、ありえないのだね。
ここまでいきなりBGMを力説するのは、まあ、そういう私のふた昔前ほどに解決されたというか、常識であったことがいまさらここ水俣の公共施設で通じなかったケースが生じたのですね。怒りのもとがいったい何かは読んでくださっているあなたには、わからなくてはなはだ迷惑でしょうが、知りたければお話ししますよ。前回に引き続き、またこのパターンかい!?って感じですね。まあ、自分の気持ちが納まっていないところの発露ですから、このブログ愛読者には非常にスミマセン。スルーしてください。
音響のプロが書かれている示唆に富む文章があったので以下添付します。
BGMについて
本文は日本音響家協会機関誌「Sound A & T」1998年6月号No14に掲載したものに手を加えたものだそうです。
BGMとは、日本音楽著作権協会の規定から抜粋すると、「演出意図を持たないで不特定多数に聴かせる音楽。」となっており、複製しない限り著作権料の徴収は行われない、となっています。 いいかえれば何の効果も求めないで、ただ無意味にCDを再生するのがBGMということになります。
私はBGM本来のあり方は、そのBGMを聴く人にどのような効果を与えるかといった考察がなされBGM素材、再生方法が検討され、再生されるべきものであると考えます。
ところが現実は音楽が流れていれば良いといった安易な使われ方や雰囲気作りに良いといった使われ方ががほとんどです。ブティックがたくさん入っているビルに入ると、各店舗が独自にBGMを流しており、音楽ではなく一つの騒音の固まりと化しています。店員も客もその状況の中で平然と仕事、買い物ができるという日本人の感覚も大いに問題があると思います。知らず知らずのうちに情緒不安定な人が増えているのではと思います。私は人が集まる所に使用されるBGMも、結局は効果音楽でなければならないと考えます。もし効果音楽としての考察が無いまま再生されると、先程述べたように、それはもう騒音以外何者でもないと思います。
~中略~
BGMについて提案をいたします。
一般的にどのようなBGMを使用するか、またはしないかといった問題に関してまず、
1、その空間の存在目的
2、主たる空間のイメージ
3、そこに訪れる人の分析(男女別、職業、年齢層等)
4、BGMを使用する場合の効果の予測
5、システム設計
6、音楽選曲および編集
以上6点の問題点をクリア、実行します。
1、2、3はその空間を建てるオーナーおよび建築デザイナーによって決定されます。4、5、6が音響デザイナーにより決定されます。しかしながら現実には4の問題が軽視(または無視)されがちです。ここに各人の趣味としての音楽感が優先されることが多々あります。ここで趣味が入って来るならばBGMは流さない方が賢明です。他人の趣味を強制的に押しつけられる方はたまったものではありませんから。
~中略~
音、音楽は身近に存在し、誰でも簡単に使用できます。その簡単さが音の取り扱い方を安易にしているようです。音は薬にも凶器にもなります。あえて言うならば麻薬に似ています。麻薬は専門職しか扱えません。音も専門職が扱うと薬になるということを一般に知らしめる必要があります。そのために私たち専門職である音響家の存在が必要なのです。
私たちは音、人、心をもっと大切にし、本当の専門職=ProfessionalとしてBGMから大きいシステムの音響まで考えて行くべきです。今や機材がどうのといった議論よりも、音の人に対する効果、影響に眼を向けるようにしようにする事が急務であると思います。
























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