じんけん、さべつのことをまなびました
きちょうなおはなしがきけてよかったです
語り部講話にほとんど通用する、非常に便利な感想である
このような、いかにも用意してきましたという言葉は悲しくなる
これに限ったことではない。
大衆の面前で、自分の頭で考えた言葉を発するということは
現代日本社会の中では極めて困難なことのようだ。
昨年の水俣病慰霊祭に参列したとき強くそれを感じた。
遠路はるばるいらっしゃったお国のお偉い様が挨拶で、
「水俣病 その歴史と教訓2000」の冒頭文章をそのまま読み上げたのだ。
一言一句違わず、である。
何方かがご丁寧に準備差し上げたのであろう。しかし詰めが甘い。
これは、これも、これぞ、今話題の偽装ではないのか?
引用として紹介したのならまだしも、抜き出した文章を
あたかも自身の言葉のように平然と公的な場で発してしていいものなのか。
否。
そのような大人がこの国の代表として日夜尽力しておられるご時世に、
子供に対して“自分の言葉で”なんて、そりゃ土台無理な要求なのだろう。
ただ、ときどき、そんな諦めを覆す出来事に遭遇する。
7月10日、宮崎県の五ヶ瀬中等教育学校という学校のガイドをつとめた。
生徒数40名、全寮制の中高一貫校であるこの学校は、生徒たちが皆、非常に礼儀正しく
まじめで熱心であった。
五ヶ瀬中学校は水俣よりもずっと山の中にあるそうだ。
掃除、洗濯、食事の片付け、全て生徒がこなしている。
昼食は貝汁味処・南里、看板メニューのわっぱめし。(前回のブログ参照!)
生徒たちは礼儀正しくいただきますをし、
文句一つ無くおいしそうにたいらげると、器を重ね残飯(エビのシッポなど)をまとめ、
見事なチームワークで手際よく片付けだしたのである。
先導していたのは数人の男子生徒だ。
その自立ぶりには感心した。
................................................................................................................
この日の語り部は、上野エイ子さんだった。
上野さんはここのところ特に耳が不調なのだそうだが、
水俣病で亡くした夫のこと、子供のこと、座り込みやカンパをしていた時の辛苦、
そして最後に、語り部としてこのような場を与えてもらえることが嬉しいのだと語った。
語りが終わり、資料館の職員が質問を促すと、次々と手が挙がる。
その数にも驚かされたが、中身も各々、非常に濃かった。
その中の一つを紹介したい。
「私は、さっき、水俣病資料館の見学をしたとき、写真とかが、なんだか怖かったし、
気持ちが悪い気がして、あまり見ないようにしていました。
でも、今、上野さんにお話をしていただき、見ようとしなかった自分が、
すごく、恥ずかしくなりました...」
目に涙をいっぱい溜めて、少女は切々と話した。
私はこれに圧倒された。
この後のエコタウン見学でも、彼らは、感じたこと、疑問に思ったことを次々と発表するのである。
「もし大きな地震が起きたら、せっかく回収したビンが全部割れると思うんだけど、
そういうときはどうするのですか」
(地震以上に不安要素である台風の対策のため、保険に入っているそうです)
「もし、これから、こういった場所で働くとしたら、何か特別な資格が必要でしょうか」
(小田個人としては資格などいらんから是非とも水俣の戦力になってほしい。)
途中途中言葉に詰まっても、謙譲語と尊敬語の使い方が少々妙であっても、
周囲の目を恐れず自分の言葉を発表できる彼らに、拍手喝采万歳三唱米一升をおくりたい。
また生徒の歩幅を合わせる教育にばかり気を取られることなく、大らかな環境をつくっておられる
先生方にも、心から感謝している。
最近のコメント