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水俣環境学習のぴーあーる

水俣・芦北地域での環境学習、フィールドワークの誘致に関西へ。2泊3日で熊本県および地域振興局の人々と大阪・兵庫・京都・奈良を回る。アポをとったのは主に私なのだけど、なかなかにタイトでスリリングでしたね。
以前の仕事で関西も営業テリトリーだったのでなんとなくの土地勘はありましたが、電車の集金システムの変貌には驚いたねえ~。水俣に5年いる間に「スルッとKANSAI」なんてカードができて、改札の出入りがなかなか便利。だけど、東京都異なり割安にならないところが関西のがっちり商根ですな。加えて気になるのは、使用済みのこのカードはどのように処理されるのか???リサイクルできるのか~っ?毎日何千枚ゴミとなっているのか?!

013 初日、吉永さんは、梅田の熊本県大阪事務所でわが事務所のごとく仕事をさせてもらったみたいです。大阪事務所の皆様お世話になりました。そして、2日目は、スケジュールに振り回され、疲れた身体を引きづり若干ふらつきながらなんばへ。
道頓堀のGlicoをはじめとしたキラキラ電飾に虫の如く吸い寄せられる人々をウォッチングしに行く。だけど、はたからみれば私たちも完全にその仲間の一人です。ええ、間違いなく!

で、おじさんは、福岡のカップルに請われてGlicoをバックに記念写真を写すわけね。
015 もともと写真を頼まれたのは、Tさんなんですね。このTさんの醸し出す雰囲気はなかなかで、長崎でも小学生に捉まりアンケートにお付き合い。優しそうなおじちゃまに見えるんだろうな。
それを受けて写真を写すのが左の吉永氏!写真の後は、「水俣に遊びにおいで~っ 温泉あるよ~っ」と常に誘致する心を忘れない。この後、食事をしたビル内の売店の兄ちゃんに名刺まで渡して、水俣誘致してました!日頃なかなか思わないけど(はははっ)ほんとにエライですよ~

なんだか、こんなところを出すと仕事本当にしたのかよ~っ的ではあるが、営業中にアリバイづくりみたいに暢気に写真なぞ撮るわけにもいかないのだから信じていただくしかない。

ファシリテーション基礎講座

私にとってのファシリテーション研修は、すでに冬の荒波たつ日本海に乗り出している猟師が「あらためて船の操縦と魚場について勉強しよう」と思ったようなものかもしれない。決してすでにベテランだぜということではない いまさらかよ!なのだ だが、基礎を知っていると天候不良や事故にあった場合にまず精神的余裕を持ってことにあたれる。
加えて、人に「漁とはなんぞや?」 ってのは大げさか~  いやいや、もうちょっと軽く「漁をうまくやるコツ」なんてのを伝えなければならないと、というケースには大切ですよね。
自分の言葉に厚みを加えたり、何せ万物の頂点に君臨する人間 環境問題がグローバル化してからこういう発言はアホな人間が発するかのようで皆無になったね なのだからさ。

「他者とコミュニケートして意思疎通する過程を経て合意形成」せねば社会いやいや人間というものは、共同して事にあたる気を起こさなくなったらしいよ。価値観が多用な社会を許した結果がこれで面倒くさいといえば面倒くさくないか?

そうそう、私は現在日本で行っている食育ってほとんどがチャラチャラしていて、好きではない。「元祖食育」フランスのジャック・ピュイゼが私が薄い知識で知る限り、しっかりとした思想でもって教育を展開している人と思っている。彼が言うには、「食育が上手くいけば子供は母ちゃんの手抜き冷凍食や味付けに敏感になり、文句を言う。覚悟せよ!」と言っているらしい。こういう意味での面倒くささって何だか楽しいね。お母さんも子供に褒められたら料理のしがいがありますよね。

020_2 講師の方たちのファシ歴は私と比べ物にならず、「すわっ!日本海で転覆寸前」を多数経験されているというのは想像に難くない。「ファシリテーションとは合意形成に向けてのたゆみない努力そのもの」であり、会議終了後「気持ちも一致し、アイディアも出てきた!みんなで仲良くさあ一本締め!!」ってのは、想像の世界に近く、様々な言語 薩摩弁とカオスする水俣弁に苦戦 と 価値観 農業地帯で日々カルチャーショックに打ちのめされる!世代も多岐!山間部と市街地住民 行政と民間 分類してどうなるものでなし・・・ と 立場と利益 これが大きい! 水俣病関連が今でも一番シビア が空中で飛び交う場に突き出されるNPOにとって005_2 は、さらに険しい道のりであることが毎回講習で痛感されるのだ。加えて「水俣病」というテーマをズルズルと引きずる 引きずるというのは、ざっぱに分けて3者存在し、①真っ向から立ち向かう人②ひたすら逃げる③そ知らぬふりをする ああ、④とまどう人っていうのもいるね わが水俣をどうにかしたいと思う、まちづくりの原動力であるとおだてられている〔若者、よそ者、馬鹿者〕の「馬鹿者」に属する私ではあるが、困難さは一応認識しているのであるよ。

この文章は決してまとまることなくダラダラと垂れ流すのみだが、私のコーディネート力とやる気は現在進行形ということで許してください。 

byあやも

「美味し!」を求めて…

「美味し!」を求めて熊本へ旅に出る女3人。2人は40代だが、一人は20代。水俣から熊本へ車で約2時間弱のドライブ。車中は、さまざまな話しに花が咲くが、この20代は、20年の時を超えて二人の話題に隙なく追従し、たまに戦前の話題をわが目の前で体験したかのような口調で語る変なヤツ。「時を超えた少女」ならぬ「時を超えたおばさん」である。名前は「みう」という004_2らしい。
今回の目的は、前回のようにナスカ展を見よう等という高尚なものではなく、美味いものが食べたいだけで、欲望の旅である。

あやもがお勧めした店とにかく肉が食べたかった!水俣では食べられないトロトロの牛ホホ肉のワインソース煮込みが~!は辛島町を3度ほど回遊したが見つからず、うむむ事前準備不足が悔やまれる…次候補のクッチネッタ「モンズ」へ。ここは、生パスタを食べさせてくれるのだ。生パスタセット900円なり。画像は私が頼んだバターとチーズのパスタ!で、生の出来立てでしか味わえないもちもち感がよろしかった。

006その後、正面の朝鮮飴の老舗にお邪魔して求肥飴を求める。これは、本日仕事で来れなかった専務理事吉永氏へのお土産ね。発案は心優しき腕っぷし姉ちゃんのゆみさま。構えは威風堂々。先の長崎さるくで見て回った老舗のべっ甲店やカステラ屋さんを思い出す。古くからの構えを崩さないっていうのは難しいものです。

恩師からのメール

中学を卒業して20年以上経過しました。
時の経過で、忘れられるものも多いのでしょうが、そのときは子供であり、自分中心の世界から抜け出せず、先生の想いが理解できず、本質も見抜けなかったことが熟成によって、心に染み込んで来ることが多くあります。
今回は、先生からの私的メールを掲載させていただきました。
真意は、私が修学旅行生を受け入れる際に、様々な重力に押しつぶされる寸前の先生、そこまでではなくても教員の意義を仕事に忙殺され、見失いつつある方もいらっしゃるように思います。私たちのやり取りが誤解を恐れずに記せば「先生達の一助になれば」という思いです。

島崎先生をはじめとして私の恩師たちは、教師である前に一生懸命生きている人間であったと思います。誤れば潔く謝罪する人であり、調子に乗りやすい私を褒めてくださる上手な使い手であったとも思います。


以下、島崎賢一先生よりのメール

 先日はありがとうございました。
20数年ぶりに再会できて心から感謝しています。
同窓会に出席できませんでしたが、あなたとの楽しい会話で、
参加した気分になりました。
 あなたをはじめ、附中卒業生が、それぞれの立場で、立派な社会人となり、
活躍していることに感動します。
いよいよ、あなたたちの時代ですね。
 月日の経つのは、早いものです。
その分、自分も年をとったものだと、つくづく思います。
 あなたは、中学生の頃の積極性を失っていませんね。
益々元気のようで、頼もしく思いました。
 ところで、あなたから見た「私」は、いかがでしたか?。
生徒は、いつまでも若い時の先生をイメ-ジとして持っているものですが、
「先生も年取ったな・・・・・・・」という感じだったでしょう。
65才を過ぎて、少々弱気になっていた時期だったので、
あなたの訪問は、私を元気づけてくれました。
感謝しています。もう少し、頑張る事ができそうです。
 さて、Mkpの話を聞いたり、パンフレットやブログを見たりするにつけ、
皆さんが、立派な活動をしている事に、教えられることがたくさんあります。
ブロクの文章等を拝見し、さすがいい報告書などを書くものだと感心しました。
あなたたちが、何をどのようにしているのかが、よく分かりました。
私自身、ブログなるものに載ったこと等ないので、少々恥ずかしいです。
 大学の方には十分に紹介ができなかったことをお詫びします。
いつか機会があったら、個人的にも参加・学習してみたいものです。
 
 環境問題は、これからの大きな課題ですね。
私たちが、もっと身近に感じて、しっかりと勉強すべきものでしょう。
どうぞ、その先頭に立って、我々をリ-ド下さい。
 益々の活躍と発展を心より祈っています。
 それでは、また。いつか会える日を楽しみに。
 元気で。
                     
                          御礼まで。
島崎先生へ
メールを掲載しました。事後報告ですが怒らないでくださいね。
先生の質問にお答えすれば当時の先生は「カミソリ」的でした。
叩かれるわけでも、当然ながら暴言を吐かれるわけでもなかったのですが
印象的にはです。
なぜでしょうね?生徒である私たちとある意味戦っていたからでしょうか?
今の先生は、年をとったというより知的で素敵な感じになられてオランダ坂を小脇に
歴史本を持って歩くなんて想像するだけで様になっています。
ふふふっ 本当ですよ。

長崎さるくガイド視察研修1月30日

050_3 2日目、1月30日は原爆落下中心地周辺を歩くツアーである。水俣環境ガイドにとっては商店街ツアーよりもこちらのほうが、ツアーに帯びるニュアンスが近い。原爆資料館で長崎さるくガイドの白鳥純子さんと調和美さんと落ち合う。この方たちは単なるさるくガイドではない。原爆資料館で平和案内人として活動されている。

水俣では水俣病語り部の方たちの高齢化と病状の悪化により語ることの継続が危惧されている。この状況は、長崎でも同じで放射線等による病状の悪化や高齢化等で語り部が減少している。被爆2世と言われる方たちも実際に戦争や被爆当時の長崎を体験したわけでなく、語り継ぐことに対して戸惑いを感じている。それらを共有したり解決できることはないかとの思いであった。普通は、ガイド指名などできないのだが、長崎さるく観光推進課にこちらのディープな参加メンバーをお伝えして、無理をしていただいた。

075 原爆資料館を起点として、被爆の被害や当時の状況を残すものを見ながら、終点の浦上天主堂へと向かうツアーである。長崎にはプルトニウム型原子爆弾、ファットボーイがB29によって落とされた。落下中心地の松山町上空500mにいきなり太陽が出現して、あまりの高温に数秒で至近距離の人々は一瞬で灰になったのである。
原爆の害を大きく分類すると3つ。1つ目は爆風による被害。2つ目は熱線による被害。3つ目は今でも人々を苦しめる放射線による被害である。出来事や被害を伝えるのは簡単だが、その説明によって子供たちが何を考えるのか?得ることが出来るのかを追求し続けるべきは水俣病学習でも共通の課題ではないだろうか。

081 ところで、調さんの旦那さんが35年ほど前医学部研修生当時、原田正純先生とともに水俣病患者さんの調査に訪れていて、うちの専務理事・吉永さんと既知の仲であったのが、縁を感じるものであった。ぜひとも、今度は水俣に来ていただいて、里山で宿泊し、海の幸を堪能し、人と出会って、昔話に花を咲かせてほしいと思った。

参加メンバーはフェリーの時間もあり、午後2時には長崎を出発したが、私は引き続き明日の大学ヒアリングがあり、白鳥さんにお付き合いいただいて、資料館の見学とガイドへの想いを語り合った。とても有意義で楽しい時間を過ごせました。
長崎よ。故郷よ。頑張るのだよ。私も頑張る! byあやも

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