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おじゃ学のススメ

現地ガイドというのは、どこか肩身の狭いものである。
常日頃 そう感じていた。

大抵修学旅行には専門のバスガイドが付いてくる。
水俣ではガイドが2人になるわけだ。

天使のような美声と程よい抑揚、巧みな話術を兼ね備え、
ヒールとリボンの似合う胸きゅんガイドと

交通整理のオヤジのようなジャケットを身にまとった
正体不明の庶民ガイド。

さらに前者が旅行工程においてずっと生徒と一緒なのに対し
後者は旅程のうちの、ほんの一部分でしかない。

どう転んでも生徒の心を射止めるのはバスガイドである。
そこは結局ガイドの腕の見せ所なのかもしれないが、
駆け出しで(自称)内気な私にとってそのようなプレッシャーを感じてしまうのは
至極当然なのではなかろうか。

16日、岡山市立K中学校のガイドを務めた。
みな真面目で無邪気で、先生方もおおらか、
いい学校だった。
声を張り上げる事なく、平穏に各行程をこなしてゆく。
しかしそれで良いのか、という気もする。
何か、ツカミが欲しい。盛り上がりが欲しい。

そこで私は賭けにでた。
ー今日ならできるのではないか
それはずっと迷いながらも、出し渋っていた手段だった。
「皆さん、私は“しゃべり”のプロではありません。
特殊な発声訓練を受けてきたわけでもなく、
同乗されている美しいガイドさんに比べれば
物足りなさを覚えられる方もらっしゃることと思います。」
ひと呼吸。
「でも私には得意技があります。
みんな、NHKアニメおじゃる丸を知っていますか?
これから福田農場に向かいますが、それまでみんなが今までの様に素晴らしい態度で
お話を聴いてくれていれば、到着とともにおじゃるの声で迎えましょう」

視線は一斉に私に集まった。
熱い生徒達の期待の目で、火傷しそうになる。
これは、はずせない。

湯の児高台を昇り、左手には不知火海が顔をだす。
そろそろである。
「まだ?」「まだかなあ。」「早く聞きたいね」
噂声が耳に入る。
福田農場駐車場に到着した。
ここでテレを見せてはいけない。油断は禁物。
私はおじゃる丸だ。みんなを心から歓迎している、水俣のおじゃる。

みんな、今日は水俣へようきたのう。疲れたのではないか?
福田農場についたでのう、ゆったりまったりしてたも。
パエリアを食べたらばまた会うでの、午後からまたよろしくでおじゃ。

喝采。
奇声。
歓声。
笑顔。
笑顔。

成功したのだ。
彼らにとって私は「未知の現地ガイド」から「おじゃガイド」へと変わり、
相互の壁が一気に薄く、いや突き破られたのを感じた。
午後からの環境学習では、不思議な事にそれまで以上の真剣な姿勢が伺えた。

工程の途中空き時間があれば、ほっとはうすの交流で歌う
「うみ」を、私の適当な指揮で練習した。
誰1人として「歌わない」ものはいなかった。

なぜだかクラスの集合写真ではど真ん中に入れて頂いた。
そんな図々しい現地ガイドは前代未聞であろう。
しかし人を押しのけて中心に入ったのではない。
自然にそうなったのだ。

水俣を伝えるという重大な使命を背負う水俣現地ガイド。
そこには、いわゆる「息抜き」もいるのだと思う。
ガイドが息を抜くのではない。生徒、先生方が、だ。
馬鹿々しいぐらいの発想を持って、そこに確かな“熱意”が生まれる。

適当なガイドをするべきだと言いたいのではない。
人気キャラクターの真似をしていても、至って真剣だ。

「いいかげんにふざけるな、真剣にふざけろ」
と 清水ミチコが言っていた。

まったり、ゆったり。
子供達にとて無防備な入り口をつくりたい。

※今後のガイドに示唆を含むものだったのでAの手によって文字をデカくしたり、
色づけさせていただきました。

P.F.ドラッカー

Img_5599 昨日のドラッカーにとらわれた「読まねばならない!一刻も早く!!」で、水俣近辺に即日入手できそうなとこもなさそうなので、出稽古出稽古とは神道夢想流杖道の稽古。体育出身で西洋スポーツに身を投じていましたが、古武術(剣道・柔道等近代武術でもなく)の面白さは、私にとって比較にならないものがあります。あ~もっと早く出会いたかったよ。夢想権之助勝吉さん。のついでに熊本の大きな本屋で発見。「非営利組織の経営」ですが・・ドラッカーさん、なぜこんなにキンピカにされたの?以前読んだ時は白に青い爽やかな印象・・・今は、朱色に金の縁取り・・・しかも「ドラッカー名著集④」とあるよ!えっ?!もしや・・・そうです。お馬鹿な私が知らなかっただけで、2005年96歳でドラッカーさんは故人になられていた・・・。そりゃ、そうだ。はじめて彼の本を読んだときはすでに80を超えられていた。時代の流れによって通用しなくなるHow to本とは、全く異なる著書は、名著として名を残すようである。現在NPOに在籍している私は、以前よりはもっと深く読み込めるはずだ。感想なんぞは聞かないでね。目の粗いフィルターを通しても著書は遙かかなたに存在しています。ぜひ読まれることをお勧めいたします。 

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byあやも

”なんてこった!”の報告会

今日は午後からパレアで熊本県下各地区のNPOが集まり、事業報告会をし、情報交換をすることになる。吉永氏の鞄持ちでついて行き、熊本のNPOの方々と知り合いになろうとの思いで出席することになったのが数週間前。
Dscf0083 だけど!なんと吉永氏は、神戸の中学校事前授業に突如お呼びがかかり、出向かなければいけなくなった。で、私はまだ在籍していない時期の報告をすることになるのだが、やっていない、見ていないことを無理無理話すのは、よくないよね。で、Excuseを自己紹介とともに行い、キャラバン中、講師に呼んでいた澤さんを捕まえて、ファミリーサービスにで忙しいお手を煩わせなんとかこうとかその報告を持たせるのであった・・・。
しかしなんですな。あれだけ、蒼々たる県下NPOの代表者・事務局メンバーもパレア行政側も
「NPOとはなんぞや?!」の一般市民への啓蒙活動およびその手法には手をやいていたのですね。ということは、まあ、同じように感じていたNPO歴4ヶ月。初心者の私の悩みもピントはずれではまんざらなかったのだ・・・と。加えて、美里の濱田氏の言われる「NPOとは意識せず、しかし結果的にNPO」ってのも納得しました。ただ、自分がイメージしている活動としては、たぶんP.F.ドラッカー「非営利組織の運営」(不確かです)ってのを10年くらい前に読んでNPOについてはあれで納得していたんですよね。「ボランティア」と「NPO」とは似て非なるものだし、新しい概念として「水俣教育旅行プランニング的NPOのあり方」ってなるのかと思います。ああ、ドラッガーの本をどっかで探して読み直してみよう。 しかし、八代の井樋口さんと私の報告における準備を比較すると差があるねえ~画像はもちろん井樋口さんです すばらしきかな     

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byあやも

親水護岸散歩考・・・withエク

Img_5577 私事。我が家のラブラドール「エクセル」表計算ができる犬?!って突っ込みはベタですよ~が運動不足である!私は1月後半からプランニングで仕事をはじめた。しかし、それが理由ではない。だって、6年前出張がたっぷりあっても土日の休日は、阿蘇等の出かけて走り回っていた。理由と言えば、住んでいるところがまさしく阿蘇のように自然に恵まれており、「私Img_5582」自然をが欲していないというところに起因する。ゴメンよ、エク・・・。許してくれ・・・。
現在、土曜日は熊本への出稽古でこれははずせない。となると残るは、日曜日なのだから必ずエクとどこかある程度の距離きっちり距離を決めるとおもしろくないので決めない!を散歩するということにした。水俣環境学習ガイドをガイドとしてまた脚本家として仕事をし始めたので、エコパークと非常に縁ができている。我がフィールドをさらに知るため手始めはここにした。エコパークは、500億弱を突っ込んで、58.2haの埋め立てによりできた公園。現在は、バラ園・テニスコート・野球場・物産館等があるが、公Img_5584 園を作るべく公園になったものではなく、水銀ヘドロの処理上、水俣湾より浚渫されて埋め立てられた。地盤が強固ではないので2階以上の建物は建てられない。そして、海と陸との境界にある鋼矢板は耐用年数50年と言われており、あと30年のタイムリミットであるが、漁師さんのなかにはもうそろそろ怪しいのでは?という恐ろしい噂もあるようだ。
炎天下の中をエクとテクテク歩きながらよしなしごとを考える・・・。とそこへ、四つ葉のクローバー発見♪幸せがあっちから降ってくる気分になる。おお、親水護岸で四つ葉とは!って・・・ああ、脳天気なワタシ・・・。 

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byあやも

専務は蜂楽饅頭が食べたかった

筆:小田 実宇

専務理事Y氏は、突如煙草をやめた。
そのせいかどうなのか最近やたらお腹を空かせている。

来客が来るたびに
「蜂楽饅頭食べたくないか?」
実際あるわけではない。単に本人が食べたいのだ。

結局自分で買いに行った専務理事。

水俣は蜂楽饅頭発祥の地、
 国産純粋蜂蜜使用、お値段もお手頃!
みんな煙草をやめて蜂楽饅頭を食べましょう。

白あん派と黒あん派の間には深い溝があると思う今日この頃。




ノルウェー新聞社取材

019 本日2007年5月1日水俣病公式確認から51年目を迎えた。慰霊式は、水銀ヘドロの埋め立て地である親水護岸で行われる。この地は、水俣湾を臨んでおり、25ppmのヘドロがここから浚渫されて親水護岸を含めた58haの巨大なエコパークが出来上がっている。この地は、水俣病と初めて認定された地区、「坪段」が見え、晴れた日には、不知火海の穏やかな海と熊本県は天草の島々そして長島、獅子島等の鹿児島の島々を見渡し、その海は有明海にまで通じ、澄んだ空気の時には長崎の普賢岳まで見通せることも多い。最近の憂鬱は、晴れた日も黄砂でくぐもった空が多くなったこと。黄砂は粒子が小さく喉の粘膜が弱い私にはつらい。加えて緑が減少して、広がる砂漠の黄砂に中国工業地帯の汚染物質が付着したものが飛来してきているのではないだろうか。去年はこれにやられて喉が腫れ上がった・・・。そして今年は気管支炎にまで発展(?)・・・1週間寝込んだのだ・・・。

この日にあわせてノルウェーで最も大きな新聞社VGの記者が来日。プランニングがコーディネーターの役割となり、朝から夕方までの1日を通訳の田畑氏と彼らとともに過ごした。正直な話しであるが、私は彼らの意図を私は計りかねていた。はるばるノルウェーから日本に来る意味?大きな新聞社というからまあ、日本まで派遣してみようかっていう程度?だご汁をともに食しながら、田畑氏にこの疑問を投げかけてもらう。ノルウェーに水俣病を知るものにとって驚異の事件が進行している(いや存在していた!)ことがわかる。
007_1  ノルウェー沖で水銀に侵された魚が見つかり始めた。その原因が確定した経緯はわからないが、ドイツヒトラー政権の第2次世界大戦中にドイツから日本に向けて水銀約70トンを積み込んだ潜水艦が英国によって沈められ、ノルウェー沖(場所は不明だ)水深130mに沈没しており、当然ながら海水による金属浸食が進み、今の状況を呈しているという。

VGのライターJONは、これについて水銀公害を初めて認定した国、日本の環境大臣にぶつけてみたかったらしい。しかし、今日1日の様々な経緯の中で大臣より初めからアポイントを取らせていただいていた語り部濱元氏の話しが格段有効で意義深い時間が過ごせると確証を得たようであり、昨日から慰霊式とからみ、行政、マスコミ様々に引っ張り回され披露されている濱元氏だったが、取材の要点を素早く察知してくださり、その取材は彼らに満足を与えた。これから濱元氏と水俣病に関わる様々な仕事で大いに関わらせていただく私にとって、30分の取材時間は大いに収穫を得るものであった。
このノルウェー沖に沈む潜水艦をどうするべきと思うか?という問いかけに濱元氏は。「臭いものに蓋って知っとるかい?お金や時間の問題じゃなか。絶対に潜水艦を引き上げるべきだ。」という応えは、どこかの行政アドバイザーが発言する言葉とは似ても非なるもので、濱元氏の苦労の人生とともに、大いなる確信を得て発言する重厚感のある氏の姿が羨ましくも感じた。  

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byあやも

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